東大総長のいった「太った豚になるよりは、痩せたソクラテスになれ」の出典を知りたい。

今回は発言の出典探しです。
国会など議事録がのこるものなら,発言を探していくことも不可能ではないのですが,発言集のようなものが残っているかどうかすら怪しいものを見つけ出すのは至難の業です。この事例,すごいですよ。ある程度時期が特定されているとは言え,回答に至るまでが秀逸です。

<回答>
J.S.Mill ”Utilitarianism”より。(J.S.ミル「功利主義論」、「世界の名著38」収録)
 chapter II "What Utilitarianism Is"(第2章「功利主義とは何か」)
"It better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied." 
訳は「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい。」(関義彦訳,世界の名著38,中央公論社,1967)
 大河内の式辞はこの言葉の意訳であると思われる。
<回答プロセス>
60年安保の頃、東京大学の卒業式で総長の言った言葉とわかっていたので、1950年代末より1960年代の東京大学総長を調査した。「東京大学百年史」 資料三.東京大学出版会,1986.に歴代総長一覧があり、1957-1963茅誠司、1963-1968大河内一男とわかった。昭和史全記録.毎日新聞社,1986.で調べると大河内一男のみの記載あり、p.736 1964.3.28 「東大卒業式で大河内一男総長はJ.S.ミルの言葉「ふとった豚になるよりは、痩せたソクラテスになれ」と告辞」とあった。さらに東京大学歴代総長式辞告辞集.東京大学出版会,1997.にて確認すると第十八代総長大河内一男 卒業式昭和39年3月28日の項があり、「・・・昔J.S.ミルは「肥つた豚になるよりは痩せたソクラテスになりたい」と言つたことがあります。・・・」とわかった。
 J.S.ミルの著作を確認するため、百科事典、人名辞典等のミルの項を捜すが、本事項の記載は全くなかった。そこでネットにて「痩せたソクラテス」「ミル」で検索すると個人のブログに「功利主義」からの出典という書き込みを発見した。ベンサム、J.S.ミル(世界の名著38).中央公論社,1967.に収録されている「功利主義論」を確認した。訳文の記載位置から原典の文章を探し原文も確認。

http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000034584

回答プロセスを中心に追いかけていくと,質問者が持ってきた情報は「60年安保の頃の東大総長の発言」というものですが,ここから展開していきます。
どうしていいのかわからない,と一瞬手が止まってしまいそうですが,そうは言ってもまずやることがあります。なんだかよくわからなくても,「60年安保の頃の東大総長がだれか」ということは調べがつくはずです。人物が特定できれば,そこから何かたどれるかもしれません。
この時に役に立つのは学校史・団体史の類です。これまでも何度か取り上げてきましたが,調べ物のヒントが満載ですので,検索戦略のどこかに入れておくべき資料群です。
当時の東大総長が絞れたところで,次です。
『昭和史全記録』で求める卒業式の告辞が載っていたことが確認できました。この『昭和史全記録』は毎日新聞社の作成したニュース事典ですが,非常に細かいところまで記事を拾っているので,かなり役に立ちます。まずはニュース事典で当時報道されたのではないか,というあたりから絞っていく発想はすばらしいですね。
もう一つ,これを最初に見つけたらあっという間に終わってしまったのではないかという資料が『東京大学歴代総長式辞告辞集』という本。なんて便利なものが……。
と,このあたりまでで,終わってしまってもレファレンスの回答としては十分かもしれません。
ただこの事例では,原文まで提供しています。訳文と原文を対照させながら,出典とされる文章も回答として提供できました。
その際,ミルの言葉であることがわかった後の検索戦略にうまくネットを使っていることがわかります。インターネットで得られた情報を元に,図書館の所蔵資料にあたって,確実なものにしていく,という図書館ならではの検索手法が発揮されています。片っ端からミルの著書を探すのではないことがわかります。レファレンス・ライブラリアンは直接資料をあたるのではなく,なんらかの二次情報を駆使して探していくのです。
この事例では,インターネット検索でヒットした個人ブログがなんならかの二次情報にあたりますが,これを元に資料に辿り着いています。回答プロセスだけを見れば「なんだ,そんなこと。簡単じゃん」と思ってしまいますが,その裏側には多分もっと苦労したのではないかと思います。
この事例のように,原文まで提供するのは,蔵書数が少ないとなかなか大変だと思います。蔵書数があるから,いい回答ができるというわけではありませんが,ある程度の蔵書数は必要です。

東京大学歴代総長式辞告辞集』についてですが,nachumeは現物を見たことがなかったです。自分の勤務している図書館に所蔵があったので,手にしてみました。これはすごい! 単なる式辞の羅列と言ってしまえばその通りなのですが,時代性というかなんというか,なかなか面白いですよ。式典が無かった時代もあったのですね。年表やニュース事典の記述で「式は開催されなかった」とあるのとはまた違った趣があります。オススメ。これはきっとなにかのレファレンスに使える資料です。この事例でnachumeはいい本と出会うことができました!