古市公威の名前の読み方は?

人物の名前をどう読むかというのは思ったより難しいものがあります。ふりがなが付されていないものの方がおおいし,名前のよみは慣用的な読み方と異なることがあるからです。付されていたとしても,今回紹介する事例のように,二通りの読み方が見られることもしばしばです。
こういうとき,図書館ではどのような回答をするかというと,「○○という資料には△△と載っていた」という言い方をします。このサイトで何度も言っているように,レファレンスは参照であって取材ではありません。調査した結果の結論をライブラリアンが出すのではないのです。
それを踏まえて,回答を見ていきましょう。

以下の2通りがある。
1.「古市文庫について」井口昌平
(『近代土木技術の黎明期』 土木学会 1982 p.49−56)
序文中に、
「この調査の中から古市公威の名「公威」の読み方についてのひとつの証拠が得られた。それは「きみたけ」ではなく、「こうい」だ、というものである」
との記述あり
2.瀬川昌世写真集『瀬川邸の四季』巻末の解説に、ルビで「こうい」とあり(瀬川昌世は古市公威の娘婿)
3.『土木学会の80年』巻頭の歴代会長の最初にルビで「こうい」とあり(『70年略史』では「きみたけ」)
4.『土木の200人』中、金関義則による解説では 「ふるいちきみたけ」とのふりがなあり。
(金関氏は「古市公威の偉さ」というのを「みすず」に連載していて、このコピーは松浦先生に頂いたが、1975年前後で、読み方にはこだわってはいないよう。1の『近代土木技術の黎明期』には「薩長政権と古市公威」という論文を書いているので、このときに、名前の認識を新たにした、と思ったが『土木の200人』は1983〜1984の執筆なので、変えていない)
5.『ある土木者像 今・この人を見よ』飯吉精一 技報堂 1983
2章 明治土木史上の巨将 古市公威と沖野忠雄
のp69「古市公威の全生涯は、その名の“こうい”があらわすごとく、広域にわたって可ならざるはなく、その本来の手腕を縦横に広く振るった工学者と言えよう。」とある。
6.『大日本紳士録』第5巻 工学博士之部 1930
p3〜4に英文標記で「Koi Fruichi, Baron」とある。また写真の署名にも同様のサインあり。
和文の方にも、「フルイチコウイ」とのルビあり。

http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000001702

まず最初に読み方が二通りあることが確認でき,そのうちの一つがどうやら正しいよみであるらしいことがわかります。
その後各種資料から,「公威」という名前にどんなふりがなが付されているかをあげていきます。
ここでも,団体史が参照されています。そして,なかなか興味深いことに『70年略史』と『土木学会の80年』ではよみが異なっていることもわかりました。
いろいろな資料を参照していますが,中には,昭和初期の資料もあります。回答中の『大日本紳士録』は出版年の1930年や部編名の工学博士之部から推測するに,『大日本博士録』ではないかと思いますが,このような古い資料があると,その出版当時にどんな読み方がなされていたかがわかり有用です。英文表記された人名があることや,博士号を取得した名前があるとより説得的な情報となります(当然ながら,このあたりの情報の取捨選択は最終的には質問者が行います)。
この事例の回答を見ると,「公威」は「こうい」と読むものが多いみたいですね。
二通りの読み方が認められることが調査でわかった場合,なるべく多くの出典を明らかにするような回答を心がけたいところです。そして,なるべく広く出版年を捉え,できる範囲で初出を明らかにしていきたいところです。
少し話がそれますが,『日本紳士録』や『大学職員録』が休刊するとのこと。両者とも人物情報の参照に有用なレファレンスツールだっただけに,残念です。冊子体での刊行は,このレファレンス事例でもわかるように,「出版当時」という過去のある特定時期を参照するときに非常に役に立つものです。データベースや加除式の資料で最新の情報が常に手に入ることも喜ばしいことでもあるのですが,このように過去のある特定時期を見たいときには困難を伴います。各種名簿類の扱いは難しいですね。nachumeの勤める図書館でも扱いに困っているものも中にはあります(まどろっこしい言い方になってしまいますが……)。
この事例のように,ある程度の資料を列記し,どのような読み方がなされているかを回答するのはとてもスマートなレファレンスの回答だと思います! 専門図書館ならではの蔵書構成と粘り強く探すライブラリアンの両者がうまく合わさった例と言えましょう。